新年のご挨拶

あけましておめでとうございます。

圡屋です。

 

2020年が始まりましたね。

今年の抱負とか決めたであろう(もしくは特に決めてないけど昨年ぐらいで……って方もいらっしゃるのかな?)

 

僕はとりあえず趣味の充実と、見た目ちゃんとするというのを目標にしました。

 

趣味の充実は、高専4,5年の時は忙しくて、それこそ毎日こなすだけの日々で、気がついたら卒業して虚しくなったので、趣味で人生を充実しようというような感じです。

 

見た目ちゃんとするというところにフォーカスして今回はブログを書いてみます。

 

まずきっかけとしては遡ること1年前メモコン2019

今まで、服装やら結構無頓着に20年ぐらい過ごしてたんですよね(服選びしたことないし、髪の毛も適当に2000円ぐらいでカットしてくれるところ、金があっても飯と音楽に費やした日々)

もちろん、飯と音楽に費やした金に1mmも後悔はないんですけど、メモコンで周りの大学生が身嗜みちゃんとしてることにまず焦りがありました。

この5年間で、なんもその辺やってない……と

 

で、社会人になって、最初の方は実はなんも思ってませんでした。(髭ぐらいはちゃんと剃ろうと思いましたが)

その頃、いろんな人が色々番を見つけていき幸せな日々を間近に見て気の迷いで心斎橋で初めて美容院なるものに行った記憶があります。

ただ、服を選んだこともなかったので、ファッションに対する知識や態度も0、お給料でそこそこもらってても服ってまあまあ高いと感じて、ユニクロでキャラクターTシャツ買うのが関の山でした。

その中で、結構遊ぶ友人と喋っていて高専生服装に関してマジで無頓着すぎるみたいな話があった時に、あーそういう風にやっぱり思われてんねんなって感じて、その時に服選んでもらったり、アドバイスもろたりして、あーこうやって服を選ぶんやって思いました。

で、実際その次の月ぐらいに自分で選んでみるとこれがめちゃくちゃ難しい。色についての知識はあってもそれだけではどうもやっぱり太刀打ちできなくて、一緒に店員さんと相談して決めたりしました。すると、体型の問題が結構露骨に出て、それまでの服装に関する無頓着さ込みであぁ人と結構会ってたけど、なんとなく失礼なことしたなぁとか、服とかちゃんと選んだり、ちゃんとセットしたり、ああああああみたいな感じになりました。

そしてプライベート以外でも、職業上、なんやかんやと色んな人と会う機会や、外に出たりすることが比較的多く、身嗜みちゃんとしななっていう気持ちに徐々に動いていきました。

 

要するに、周りとのギャップ→不純ながらモテたい→今までの無礼に気づく→今いろいろやってるみたいな感じです。

 

モテたいということが不純かどうかは各々判断に任せますが、僕はそもそも仲良くしてもろてる人らに対してもそれ相応の礼儀は尽くしたいというところがあって、それが振り返ってみると全くなってないなぁというような意味で不純な動機としています。

 

まだ若いと自分自身は結構思っていますし、お金も時間もまだ自由に使えるので、いっぱい失敗して、身嗜みやらファッションやらやってみようかなと思う1年にしようかなと思います。

 

頑張りますので、ダサかったらダサいって言って欲しいし、良かったらイイネ!って言っていただけると僕自身としては嬉しく思います。

 

よろしくお願いします。

アイデンティティ

圡屋です。

台風や低気圧、帰省できない辛さからメンタルが崩壊していましたが現在だいぶ落ち着いてきたので、将来の考え事とかをここ最近ずっとしておりまして(心が病んでる時は絶対にしてはいけない(戒め))

前ぐらいのブログ(凡の盆)でちょこちょこ言ったことは若干実践したりしなかったり……

(来月からジム通います)

 

さて、温故知新という言葉がある通り、新しき知識を知ることも大事ですが過去を振り返ることも大事なので、将来を見るために過去の結果と原因を考えると、

意外と波に乗っていたのが多分高専2年、4年前ぐらいのことですね……

この時の自分を振り返ると、とにかく人と繋がってた、とにかく世間に自分の曲を公開していた、とにかくイベントに参加していた時期でありまして、まぁ今の自分の真逆を行ってる気がして

逆に今こんなに人生がつまらんのって自分に入ってくる情報がほとんどないからなのではと思いました。

勿論TwitterYouTubeを通じて情報は得れますが、多分そうじゃない(何が違うというところまではわからんのですが)なぁと感じまして。

 

やっぱり人との繋がりというか実際に人と会う、人と会話するって大事なんかなぁと思いました。

そのために自分を表現しないといけないですし、表現を許してくださる友達という存在ももっと必要やなぁと最近めちゃくちゃ思いました。

 

外に出ねば。

凡の盆

(この記事は多分読みにくいのと2500字程度あるのでお時間ある時にどうぞ)

圡屋です。

 

この記事は僕がバスに乗りながら書いているため、恐らくぐっちゃぐちゃな記事です(努力してわかりやすくします)。 ただ、自分と向き合いながらこの記事を書きます。

 

1. 概要

8/10〜18まで大阪に戻りました。ざっくり

10部活

11オフ

12趣味の友達と遊ぶ

13合演で仲良くなった人たちと遊ぶ

14,15オフ(作業してた)

16部活+同期と少しだけ飲み

17元同期と京都にノープラン旅行+部活+同期飲み+カラオケオール

18カラオケオール→帰宅

というような感じです。何しに大阪にきたん?という問いに、長野に何もないからという一言+αで回答していましたが、思えば長野での孤独感を大阪で埋めたいという素直な気持ちだったんだろうなと思います。

 

2.お盆を通して思うこと(1)

やっぱり毎回のように色々予定を入れました。僕が大阪に居れる時間というのは学生時代に比べてうんと少なく、その少ない時間でやりたいこと、話したいこと、聞きたいことが、見たいこと色んなことをできる限りの範囲でやろうとしました。

社会人で良かったなぁと思うとともに、途中で長野人として学生をしていたら、長野人としての人生だったのかもしれないなと思うところもあります。

 

自分で言うのも何ですが、割とフットワークは親譲りの軽さを持っていて、楽しそうと直感的に思ったらすぐ行ってしまう一種の癖がありました。

 

家にいる時間、特に祖母との時間をもう少し取れたらよかったなと思います。晩は、ご覧の通り色々遊んだりして、午前中は祖母は出かけてしまうため、1日顔を合わさない時もありました。風呂も沸かしてくれてるにも関わらず深夜にシャワーを浴びるということもありました。心配をかけていたのかなとも思います。

 

別に祖母は元気そうにしてますし犬も元気にしてますけど、逆に今元気な時に喋り相手にもう少しなってあげたら良かったかなぁと言う気持ちが残っています。

 

3.過去思うこと

(2)を書く前に直近〜昔の自分語り、その他をします。

卒業後会っていない人がたくさんいるわけですが、社会人になって、もう少し身だしなみどうにかしようとか、やっぱり対人の業務も多いため不快にさせないような言葉遣いとか色々変えようとしているところもあったりしています。

学生時代の僕を少し思い出すと、5年間常に音楽のことが頭の片隅〜半分、全部にありました。逆にそれ以外なかったなと思います。

精神的にガキ、明らかにダサい服装、まあまあ伸びた髭などなど思うところは今になってあります。逆にその当時は何も思いませんでした。

 

なぜなら、

・別にそれが肯定されなければ別に否定もされなかった

・単純にめんどくさかった

・それらをしようがしまいが付いてくる人らがいた

・周りにも似たやつがいた

このへんが理由なのかなと思ったりしました。

 

自分を構成するものなど音楽以外なかったんだなぁと思います。

転機はメモコンで大学生をたくさん見た時です。

その当時は、「あ〜大学生」と言う感想以外なかったですが、社会人になって、大卒の同期を見た時に、メモコンの時の記憶がフラッシュバックして、いやこれは4大卒に勝てんと思いました。

非常に遅いですよね。

そういうもんです。

そういうこともあり、4月から上述するようなことをしています。

 

4.変化に対する自分の弱さ

3.で述べたようなことをする時って皆さんはどういう面持ちでしますか?ワクワクしますか?ビクビクしますか?僕はビクビクします。

今でこそワックスをつけるとかツーブロにするとか適当に言ってますけど、幼少期は散髪屋でゲロるぐらい髪の毛をどうこうするのが嫌だったし、服もなんか着れたらいいと思うというか新しいものに対する恐怖(不評だったらどうしようとか)を常に考えてしまっていた気がします。

 

また、人のせいにはなりますが、僕が変わったことをすると何かと親が深刻そうなリアクションをしたり、別段肯定をしてくれなかっという背景ももしかしたらあるのかもしれません。

そんなこんなで人に自分が新しいことをするのを見られるのはやっぱり怖いですし、それ以上に変化することに対して平均より怖がってしまう自分がいます。

 

大体の場合、そういう変化って良い方向に進むのにね……

 

 

5.お盆を通して思うこと(2)

3.,4.を踏まえてじゃあお盆はどうだったか。

実のところやっぱりこんな自分でもパートナーというものが欲しくなったという経緯があったので、とりあえず自分って人から見てどんな人だろうというのを人と喋って確認しようという連休にしました。

結論を言えば、わかったようなわからんような……でも粗方こういうことなんだろうなということがつかめた気がします。

ただ、色んな人と喋るたびに自分の精神的幼さを痛感しました。別に喋ってる人たちは悪くないです。ただ、同い年と喋ってるだけやのに何かこんなにも考えていることが違うのかと良くも悪くもショックの連続でした。もっというなら多分僕は中学卒業してから良くも悪くもなんも変わってないということを実感しました。

ただ理想だけをくっちゃべって、ただ過去の栄光にすがって、ただ今の不満を垂れ流す何も変わってない自分を嫌というほど感じ、すごい自分の未熟さが嫌いになりました。という一種甘え的表現込みで嫌いになりました。

 

6.じゃあ

やっぱり過去の人が言うように行動することが一番なんですよね。偉人の一言なんて半分はそれ

ただ、同様に行動することの勇気・難しさと言うのも4.参照にはなりますが、ありますよね

この言葉でわかってても行動に起こすことの難しさを今までほったらかしてきたツケをそろそろ払おうかなと思います。

意志がめちゃくちゃ弱いので、人見て動くと言うような感じになるかもしれないですが、今はもうそれでもいいのかなと思います。色々お盆の間人を見て、行動するだけマシなのかと言うような気持ちもあったので……

 

今後とも何卒よろしくお願いします。

楽器

土屋です。

 

楽器吹きたいですね。(買わねば)

楽団を探して、近所にあることにはあったのですが、どちらもコンクール出てるし片っぽ東海大会は行くしもう片っぽは全国大会にいくような団体で……

コンクールそんなに好きじゃないので、迷いです。

こういうところだけ関西が羨ましいです。

 

あと、見学した団体の指揮者さんの雰囲気が僕と合わなさそうっていう直感がすごかったです。無念

何が自分をそうさせるのか

土屋です。

 

前々回の自分のブログ(https://kszk.hatenablog.jp/entry/2019/04/29/205523 )と比較すると、結局どっちやねんという気はしますが、少し。

 

社会人として1ヶ月とちょっと経って、環境の変化(人も時間も)に対応できない、したくない自分もいて、社会人になって思うことは学生に戻りたいということです。

 

ダブスタもええところにせぇよとツッコミが来そうなので、早速ダブスタではないというところを言えたらなぁと思います。

 

ぶっちゃけ、学生時代って、新しい流行を追いかけたり、その時楽しかったことを延々としていた気がします。それに比べて社会人になって、自分の流行のアンテナが徐々に鈍ってくるんですよね。

 

環境のせいなのか、はたまた自分のせいなのか。自分のせいにしては原因が掴めないし、環境のせいにしてしまってはこの先自分は一生アップデートしない老害というレッテルを貼られる未来しかないのか。

 

どんな手を使ってでも淀みつつあるこの自分の中の時間の流れをよりよくして、新しい価値観、物っていうのを常にアップデートし、使用もしくは理解していきたいなぁと思います。

 

なんてったって、上の人は先に死に行くけど、下の人は自分より未来が長いし、語り継ぐのは上の人じゃなくて下の人なんだから。

 

今正直何が自分をそうさせるのかがわからずいて、ただ残しておくことに意味があるなぁと思ったので、文章に起こしました。

 

ありがとうございました。

1日

土屋です。

 

平成最後の日だそうですね。

私は大阪に帰省しましたが、特に普段と変わらない4/30を過ごしています。

 

平成最後平成最後令和最初令和最初とうるさくアナウンスされてるおかげで、平成も令和も口に出すことも少なくなり、あんまり口馴染みのない言葉になりつつあります。

 

兎にも角にも、皆様が平和に暮らせるような時代でありますように祈っております。

 

個として令和でもまたよろしくお願いします。

考え方

土屋です。

 

研修が終わって、Python3を始めました。独学ではやはり難しいので、友人に教えてもらいながら頑張っています。 人と機械の方向性の違いにより解散しそうです()。まぁ趣味なんで緩くやります。

 

趣味と言えば……なんですけど、勉強が趣味って方はいらっしゃるのでしょうか。僕は勉強は趣味と思ってますが、なんか世間一般にそんなこと言う奴ってガリ勉野郎みたいに見られるので、自己紹介とか、普段の会話では基本言いません。

 

ちょっと今日の話題は棘っぽいです。

学校の勉強(一部除く)も資格勉強ももちろん音楽の勉強も趣味です。なので、大学とか行ってて、ろくに勉強とかしないのって何しに行ってるんだろう……就職して金稼いでその金で遊んだ方が絶対楽しいやん……っていう発想になります。

 

もちろん、日本社会としての体裁の都合上、あんまり何もしない(学校にも仕事にも行かない)というのはあんまり好まれませんが、別にしたいこともないのに(ただ仕事に就きたくないがために)大学に進学する人や、院に行ってしまう人、またそうしないと得をしない社会がどうも疑問ですね……

 

結局そういったことから、勉強って忌み嫌われやすいんですよね。どうせ職場でも勉強しないといけない……とかいうマイナスな感じでとられる。

 

ところでなんですけど、中学時代あたりで美容師になりたいって言ってる人に先生とかが「美容師とかは会話も大事だから教養をつけるために勉強しなさい」的なこと言ってなかったですか?

 

これめちゃくちゃ疑問でしかなくて、確かに教養ないよりかあるほうが勿論いいんですけど、極論髪の毛を上手にいじれる人のところに行きません?って思ってしまいます。

中ぐらいの腕高コミュ力より、めちゃくちゃうまいコミュ障のところに行きません?っていう気持ちになります。

 

なので、最低限義務教育内でカバーされているのだから、それ以降はしたいことをするための下積みの5〜7年やとは思うんですよね。

 

そういった意味で、高校・大学っていうのは言ったら趣味で行くところやと思うんです。

 

そこで勉強せえへんってなんなん?

 

隙あらばなんとやらなんですけど、僕が大学編入せずに就職した理由は、進学した先に何もしたいことがなかったからです。

どうせ就職したら現場での気持ちからここが足らないって勉強するからそこから勉強し直せばいいと考えての判断です。

 

世の中のムード的に大学進学が良しとされてますが、する意味はちゃんと考えたほうがいいですよ。

 

結構文章書くの苦手で論点ズレてるし、しっちゃかめっちゃかになってますが言いたいことは

・わけもなく大学進学する風潮ってどうですか?

・遡って中高で勉強の強制力が強くなって勉強が楽しく無くなるねんで

・学校にしたいことなくなったらさっさと卒業してやりたいことやった方が絶対いい

 

ということです。

長々とありがとうございました。